今日はなにを観た?

映画、ドラマ鑑賞記録

カムカムエヴリバディ 安子編 35話

あんこの声を聞け

 

俺…この試合で勝ったら、彼女に告白するんだ…。

 

勇ちゃん、それは現代では悪いことが起こる「フラグ」や。

 

そもそも、プロポーズと野球の勝利は何も関係ないのである。単なる願掛けというか発破程度のものでしかなく、人生に置ける重要事項でもなんでもない。

 

安子は野球の試合を見に来ていない。勇ちゃん、気がつけ。安子は野球のトロフィーじゃないのだ。

 

一方で安子はロバートと英語で結ばれつつある映像が野球の勝負の間に流れるという、残酷な演出がなされている。

 

そして、勇ちゃんは安子があんこを作ってる最中に声をかけている。ロバートに対してあんこのおまじないの話をし、それを英語に訳してもらったので、今朝は英語でつぶやいてるのだ。

 

なのに、勇ちゃんは気が付かない。そもそもあんこのおまじないを聞いていれば、どれだけタイミングが大切か分かるはずなのだが、彼は安子にとってとても大切なものが何か全く気づいていないという……この……。

 

勇ちゃんはいいやつだけど、微に入り細に入り、彼が安子とは相性が悪いことを描いていて、細かいところだけど積み重なると目を背けられないよなあ…というリアルさが見事で、彼に対して涙を禁じえないのであった。

 

ここまで丁寧に勇ちゃんという人物を描いてきた理由については今後の視聴者への課題かもしれない。

カムカムエヴリバディ 安子編 34話

大爆発

 

千吉さんから安子の立場が宙ぶらりんのまま、と指摘されてたけど、そろそろ誰かがキツイこと言ってくるんじゃないか…と思ったら、雪衣がついに耐えきれずに爆発してしまった。

 

まあ…美都里がいるときは、たとえ寝たきりでも雉真家の奥様だから、安子がその上飛び越えて奥様として振る舞うことはできないのだけど、美都里亡きあと、じゃあその後釜に収まるかというと…難しいんだよね。

 

千吉さんは稔亡き後、安子を再婚させようとしたから、彼女を美都里の後継者としては全く考えてなかったと思う。あの当時の普通として考えるなら、勇の奥様がそうなるべきだろうし。

 

仙吉さんは本心ではずっと安子を家族として認めてなかったんだろうなあ。おはぎを売ることを許していたのも、安子は家族じゃないから。

 

とはいえその辺の機微は、今までなあなあで流して来たんだけど、美都里が亡くなったので、そろそろ雉真家の女主人を決めなきゃいけなくなったと。

 

千吉さんは決して話のわからない悪い人ではなく、当時の女性の幸せをちゃんと考えていろいろ行動していたと思うんだけど、あくまでも「当時の女性」という大きな主語で考えてて、安子自身の望みに寄り添ってはいないんだよね。これは美都里に対してもそうだったけど。

 

愛があっても、それが愛する人にとっての正しい行動が取れるわけではないのだ。

 

そのへんのなあなあで見て見ぬ振りしてきた安子の扱いが、当時の女性の常識的な行動原理で動く雪衣にとっては、めちゃくちゃ気持ち悪かったんじゃないかなあ。

 

算太の下心ある行動が雪衣の本心を引き出しちゃったけど、彼女の言ってることは思いやりはなくとも、他人から見れば安子は未亡人として母親として、義務も果たさず何がしたいん? って腹立たしく見えてしまうのも仕方ないかもしれない。

 

なお、雪衣を責める勇ちゃんじゃけど、彼は彼でかつて稔と浴衣デート中の安子に「お前は兄さんに相応しくない」とか言っちゃってるのだった……。

 

安子が何をしたいかというのは、たちばな再興もだけど、結局は自分自身の居場所探しだよね。雉真家に彼女の居場所はない。るいの母親としてそばにいるだけでは、自分の中のポテンシャルを持て余してしまっている。

 

 

 

ロバートから英語教室の教材づくりを提案されて、新しい仕事ができたと目を輝かせてる安子に、雉真家に繋ぎ止められる勇ちゃんとの結婚話は…ないよなあ…と思うんだが。

 

さて、ひなたの道はどこに向かう。

カムカムエヴリバディ 安子編 33話

家と個人と

 

昨日でやっと概念上の戦争も終わり、戦後が来て婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し云々*1の新しい憲法も発布されたんですが。

 

雉真家はまだ戦前の結婚感を引きずってる。

 

正直、千吉さんは安子の縁談は考えても*2、勇との結婚を考えるとは思わなかった。

 

安子の立場が宙ぶらりんなのはわかるし、いつまでも「雉真家の長男の娘であるるいの母」という状態で雉真家で面倒見るのも変だという感覚なんだろうね、千吉さんは。

 

なにかに守られてない、誰か強いものに属していない女はかわいそうなのだろう、多分。

 

そして、勇も多分安子に好きにさせてあげてるのであって、安子を自立した意志も行動力もある女性として見ているのかどうか。

 

ってところで、昨日アメリカに帰ったと思われたロバート・ローズウッドさんがあっという間に岡山に戻ってて、安子と再会。相変わらずロバートさんは安子の英語の勉強を促し、新しい世界を彼女に見せてくれている。

 

勇は確かに安子にいろいろ親身になってくれてはいるけど、彼は安子に新しい何かを見せてあげたことはあるだろうか。

 

タッチと例えられていたけど、安子は甲子園へ連れてってとは言っていないのよ。

 

安子が行きたい世界はもっと違うところではなかろうか。

 

*1:日本国憲法第二十四条より 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

*2:まあこれは仕方ない。彼女は若いし

カムカムエヴリバディ 安子編 32話

空の向こう

 

うう、美都里さんつらいなあ。やっと生きたひとりの人間として扱ってもらえたと思ったら、亡くなってしまった。

 

美都里さんが安子の前に現れたとき、雉真の家を背後に従えていたんだよね。あのときはあまり何も感じなかったけど、今思えばとても象徴的な絵だったと思う。

彼女はほとんど雉真の家から出てる描写がなく*1、ずっと家の中で夫や子どもたち、ラジオからの情報を得るだけだったんだよね。出てくるたび、だんだん彼女の住む世界の狭さが伝わってきて切なかった。

 

最後に彼女は外から現れた親を亡くした子供を癒やし、孫におはぎを半分分け与えた。誰かから受け取ることしかできなかった女性が、誰かに何かを渡すことができたことは救いだろうか。

 

勇ちゃんは戦争が終わっても野球脳なのはよく分かった。

ただ、野球に象徴される体育会系のメンタルを会社経営に利用するのは、不穏なものも感じるのだが。

*1:空襲で逃げる時ぐらいかなあ

カムカムエヴリバディ 安子編 31話

放蕩息子のたとえ

 

算太がクリスマスに帰ってきた! 

 

ってやりたかったのは分かった。もうええ。

 

しかし、せっかく命からがら帰ってきて良かったね、とはならず。

 

雉真家での算太の言動があまりにも無遠慮で、雪衣さんにはセクハラかますし、安子には下衆な物言いをするしで、算太は確かに借金取りに追われたりしてあまり素行は良くなかったものの、こんな人間だったか…? と思ったところで突然美都里さん登場。

 

稔さんが帰ってこなかったのに、なんでお前が帰ってきたんだとか恨み言でも言うのかと思いきや、優しく算太を抱擁。

 

「あほじゃねぇ。生きとるだけで、ええんじゃ」

 

本当は稔さんに言いたかった言葉、そして金太さんや小しずさんが言いたかった言葉、算太が聞きたかった言葉。

 

死線を越えてやっと帰ってきた故郷は、妹以外は皆死んでいたと聞かされた算太の気持ちを考えれば、頭の中はおそらくぐちゃぐちゃだったと思う。

しかも算太は「ダンサーになる」と言って家を飛び出して、結局借金で実家に迷惑をかけて、父親に勘当されてるから、どこかで両親に恩返しをしなければという気持ちもあっただろうけど、それはもう叶わない夢になってしまった。

 

そういう彼の中の苦しみを美都里さんが母親のカンで見抜いた。

彼女もようやく稔さんの喪失を乗り越え、今度は泣いている子供を癒やすことができるようになったことに、涙が止まらない。

 

カムカムエヴリバディ 安子編 30話

マスター・オン・ステージ

ロバートさんの語る過去話が安子とかぶる部分多くて、それは共感につながるよなあ…やばいなあとか、追い払っても付いてきた少年がジャズを嬉しそうに聞いてトランペットのモノマネしてて、もしかして君はるい編のオダギ(ryではないかとか、いろいろ思うところはあれど。

 

全部、マスターの熱唱で飛びましたね。*1

 

マスターはもともとアメリカの音楽が好きだったんだもんなあ。自分の息子を殺した国の音楽だけど、それでもどうしても嫌いになれない。

 

人間の中にある抑えきれない憎悪とか悲しみとか怒りとか、そういった感情を飛び越えてしまうなにかもまた人間の作ったものなのだなあ。

 

マスターの熱唱する「On the Sunny Side of the Street」を二人で聴く安子だけど、稔さんと同じ経験をロバートと重ねていくのが不穏でもある…。

*1:まあしょうがないよ世良公則だよこのためのキャスティングだよ

カムカムエヴリバディ 安子編 29話

WHY?

 

ロバートとの再会からの、最初はゆっくりとした会話から、どんどん気持ちが溢れて英語が流暢になっていく安子。

 

上白石萌音の英語のセリフで泣かせてくる演技も素晴らしいけど、ずっと穏やかにわきまえて生きてきた安子の中に、大事なものを次々と奪われた理不尽な人生への怒りが沸き立っていて、英語がそのタガを外したんだなあ…とそのことにも涙が出る。

 

英語は彼女のただ渦巻いてるだけだった感情を言葉に変えることができた。

 

同時に、自分の感情が何か知ってしまったら、もうあとには引き返せないかもしれない。