山盛りごはん三杯

映画、ドラマ鑑賞記録

おおかみこどもの雨と雪

テレビ放送にて録画視聴。

 

いつ、雨がうっかり正体を表してしまい、その噂を聞いた父親との因縁のあるマッドサイエンティスト大沢たかお人狼に頬に傷を付けられてて、顔色超悪くて頬骨出てる白髪長髪のおっさん)が非合法の科学組織引き連れて、花一家を追ってきて、村の人達と一緒に迎え撃つ壮絶な戦いが始まるのか楽しみにして観ていたのですが、子どもたちが勝手に成長して自立して出て行って終わってしまった。

世話になった村の人達を守るために、隠していた自分の姿を現し、敵は撃退したものの、もうここにはいられない……「どんな姿でも、雪は雪だよ!」「そーた……こんな私でもいいの……? 狼なんだよ……?」という展開を、楽しみに、していたのにっ!*1

 

映画公開時、結構育児クラスタ中心に感想が荒れてた印象で、漏れ聞こえてくるキーワードがなるほど確かに荒れそうなものが次々出てるなと思ったんですが、実際観てみたら、自然の育児とか子供二人も持っちゃったシングルマザーとかそのへんは割りと気にならなかったです。

旦那は人狼とはいえ、きちんと定職持ってますし、普段の生活は人間とそれほど変わらないのなら、孤独だった花が彼と家族を持ちたいと思っても特に違和感はないですし、生まれた子供のことで他人に頼れないのも仕方がないと思います。冒頭に書いたように、マッドサイエンティストは出てこなくても、子供が人狼とのハーフであるということをカミングアウトすることで受けることはあまり良いことばかりでないだろうと花が考えたのも、ごく当たり前の判断ではないかと。

子供達を守るために、人目につかない場所へ連れて行こうと田舎に引っ越すのも、都会の人間らしい発想じゃないでしょうか。もっと賢いやり方もあったでしょうが、たかが20歳そこそこの女の子が突然頼れる夫を失ってしまって、最良の選択や行動を取れなくても責められるものではないと思います。

 

ただ、この物語自体、どういう視点で観たらいいんだろうとところどころで引っかかる部分があることも確かなんですよね。

 

ぱっと連想したのは吉野朔実の「ジュリエットの卵」でした。あそこまで歪んではいませんが、感情的な面ではかなり近いような……。

 

ファンタジーでありながら、息子と娘を持つ母の感情に人狼相手ではなく、リアルな生臭さを感じさせる。といって、人狼現代社会で育てるシミュレーションにしてはご都合主義もちらほら目につくという。

人狼の子供達が自然の中で駆けまわるかわいらしさは、映像作品として素晴らしいのだけど、子供達が自立していく過程で、母親の花の大人しく繊細な息子に対する態度と、社会性を身につけながら少年との出会いで自立していく娘との態度の違いは、生理的な不快さをどうしても感じてしまうのですよね。

親子の子離れしていくリアルさの描写でなぜよりによってその部分を選んだのか、そこがファンタジーとの食い合せの悪さをどうしても感じざるを得なかったです。

母が無意識に息子に夫を見ているのではないかと思わせる描き方と、ダイナミックに動きまわる人狼の子との親子関係に自覚的にこの生臭さをいれたかったのか、判断に迷う部分もあります。上の子がもし同じ男の子だったら、社会に対しての兄弟の態度の違いがもっとはっきり描けたと思うのですが、絵的な意味で男女に設定したのもあったのか、そこは男女の性差で描いちゃったので、余計に引っかかったのかなあと思います。

花が田舎に残ったのも、山に行ってしまった息子のそばにいたいという気持ちだろうなあと思えてしまって、生活的には田舎にいる必要がないのに娘が行きたいところへついていってあげないのか、と娘と息子を無意識に差別しているように感じてしまったんですよね。

実際は、生活の基盤ができちゃってるところから再度引っ越すのは大変なので、花と雪の選択におかしなところはないんです。ないはずなんですが……。

 

そんなわけで人狼育てのシミュレーションもの、というよりは母親の息子と娘に対する態度の差みたいなものがざらざらと引っかかってしまい、そこから花の田舎暮らしやらなんやらリアリティが気になって来てしまった感じです。

花自体がふわっとしておっとりした外見だけど中身は頑固で頭でっかち、という女性から見るとあまり好感度が高い性格じゃないというのも不快感につながりやすいんですよね。

そして、この生々しい親子関係を自覚的に書きたかったのか、それとも理想的な親子関係として無自覚に描いていたのか、これが映画観てる限りだと分からなくて、それがどうにももぞもぞと座りの悪さを感じたのでありました。

*1:劇場版555観なさい