映画/美女と野獣
観てきました。アニメ視聴済みですが、だいぶ昔に観たきりなので、色々忘れてたり記憶違いがあるかもしれません。
とはいえ、有名なストーリーなのでネタバレありの感想です。
実写版観て改めて思ったのですが、この物語は、野獣になった王子の成長物語なんですね。ベル自体は、あの当時の前時代的な女性観に逆らった存在で、読書好きで教養を身に着け、発明が得意、つまり、男に頼らず自立している。
イケメンで強く、村では一目置かれた実力者であるガストンに言い寄られても、彼に頼って不自由な人生よりは、自分の意志で生きていきたい。で、彼女のこの願い自体は最後まで変わることはないんですよね。
ベル自身の成長は、この物語の主題ではない。むしろ、野獣はこの変わり者の美女に自分を受け入れてもらえるよう変わっていこうとすること自体が、物語の課題なのだと思います。
物語の発端は、美しいものをたくさん集めて享楽的に生きていた王子が、パーティの最中に訪ねてきたみすぼらしい老女を邪険に扱ったところ、実は老女の正体は魔女であり、王子に「見た目で人を判断する愚かさ」の罰として、醜い野獣と変えられてしまう。
面白いのは、王子はこれによって醜い女性の本質を見抜く、という課題を与えられるのではないんですよね。
魔女の呪いの本番は、ベルという美女が父親を助けるために城を訪ねてきて、彼女と過ごすうちに恋に落ちてしまってから。それまでは、自分のことを分かってくれる召使いたちと一緒にひねくれて引きこもっているだけだったのが(これはこれで苦しいが)、外に向いた瞬間に呪いが一気に愛されない苦しみに変わるんだよね。
自分自身が醜いものを受け入れなかったから、ベルも自分を受け入れないのではないか、というジレンマ。
そして、ベル自身を知れば知るほど、彼女の父親への想いと自立心から、城へ閉じ込めておけない、と一緒にいられなくなっていくという。
愛されようとする努力をしなければそのままバラは枯れる。愛されたいと努力をするなら、彼女をそばに置いておけない。
魔女の呪いの、なんという策士っぷりよ(笑)
逆にベルは、野獣に恋をしなければいけないわけではなく、別に野獣を助けなければ理由もないわけで……あるとすれば狼から助けてもらったり、図書館の本を貸してもらったり、バレ*1の仁義ぐらいで、彼女の意志は最後まできちんと尊重されてるんですよね。
ベルに愛されることで救われるという展開は、一つ間違うと男にとって都合のいい話になってしまうんですが、ベルを都合の良い聖女にはせず、二人で少しずつ歩み寄っていく心情の変化は、かなり気を使って丁寧に描いていったなあと思います。
ベルが野獣にとって都合のいい聖女になってしまったら、この物語は崩壊してしまう。誰かの本質を見た目に惑わされず理解し、分かり合うことの美しさとして、恋愛を描いていった。ほんと、最後までロマンティックに酔いしれることが出来た、傑作だと思います。
あ、ガストンは実写版で上手くパワーアップしてましたね。戦争帰りである、時代遅れの女性観、ああこりゃベルとは合わないわと同時に、ル・フウ*2がだんだん彼の本質から引いていくところとか、こちらも色々奥行きが作られてるなあと思いました。
いろいろ書いちゃいましたが、実際は観ている最中、ずーっとエモーショナルな展開に、何度も何度も泣いてたので、小難しいこと考えることなく楽しんで来ました。
まあでも、ベルさん、本当は野獣でなく図書館と結婚したんじゃないか…って、ちょっと思いました。
神インタ。