映画/ベイマックス
正月早々観てきました。
ヒーロー物好きとしては前評判から絶対外せないと思いましたが、どまんなか直球でしたね。
兄の遺志を継ぎ、仲間とともに巨大な敵に立ち向かい、大きく成長していく主人公の物語。そのシンプルな筋立てを魅力的なエピソードや舞台設定、細やかな心理描写でしっかりと楽しませてくれました。観終えたあと、もっと観たい、彼らともう一度会いたいと物足りなく思えるところまで気配りが行き届いていたように感じました。
あとで反省会開くタイプのストーリーも好きなのですが、非の打ち所がない作品というのもいいものです。
サンフランソウキョウの描写もたまりませんでしたね。胡散臭い日本描写が大好きなのですが、近未来的な高層ビルと昭和的な高架下の雑多な町並みのバランスが最高でした。街をとてとてと歩いて行くベイマックスとヒロ、街の上空を飛び回るベイマックストヒロ、(他にもチェイスシーンがいろいろありますがそれらも含めて)ずっと観ていて飽きない映像でした。これはやはりスクリーンで見ておかないと勿体ないですね。
個人的にツボだったのは、ネーミングです。
ヒロがHERO、そして彼を最後までいろいろな意味で導く存在の兄の名前がタダシ。
正しい、という言葉は英語ではいろいろあると思うんですが、やはりヒーローとつなげるなら、正義、justiceの意味でいいと思うんですよね。
ヒーローと正義*1
タダシの名前にjusticeの意味が込められていると考えながら観ると、あらゆる場所で人を救うとは、ヒーローとはなにか、と何度もタダシがヒロに問いかけているように思います。
そして、そういう問いがちゃんとあってこそ、ヒーロー物なのではないかと。
以下ネタバレ
作品の核心部分に触れます。
ベイマックスはずっとタダシはここにいる、と言い続けていたのですが、それはベイマックスの中に搭載されたタダシがプログラミングしたチップであり、同時にそこに人を救うために作ったというタダシの正義がある、という意味なのかなと考えてました。
ベイマックス自体には感情も意志も無く、「人を救う」という目的だけのために行動してるのですが、その感情の無い場所に正義、あるいは正しさが宿っているのが面白いです。
正しさ、正義ってのは復讐や怒りを越えたところに、初めて実行できるものなのかもしれません。
タダシは最初の登場から人を救っているのですよね。ヒロですけど。
常に彼は人を救う存在として描かれている。
タダシの死は、教授を助けようと咄嗟に火事の中に飛び込んでいったせいなのですが、その火事自体は特に理由もなく(おそらく)起こったもので、教授自体もヒロの作ったマイクロボットで助かってるので、言葉としては辛いのですが無駄死になんですよね。
でも、人を救うための正義のあり方というのは、考えるより先に人を救うために動いてしまうことで、それはクライマックスのベイマックスの行動と呼応しているのだと思います。
タダシが中にいるからこそ、ベイマックスも自己犠牲の判断を下すことができた。同時に、おそらくメモリチップの中にいるタダシを死なせないようにヒロに託した。
ヒロもまた人を助けるために、ベイマックスとの別れを乗り越えることができた。
キャッチコピーの「優しさで人を救えるか」だけど、優しさで人を救うのは、感情に流されない冷静さと決断力が必要であると、シビアに描かれていたと思う。決してアクションの爽快さやベイマックスのキャラクター的な癒やしだけで終始したのではなく、兄タダシの遺志を受け継ぎ、厳しい試練を乗り越えた先の成長がしっかり描かれていたことで、痛快無比なヒーロー物として完成したと思うのです。
以下余談
ベイマックスを観てきたタイバニクラスタが、タイバニだったと口々に言ってたのが気になってたのですが、復讐ものだと聞いていたので、まあそらタイバニも近未来的な架空都市でのヒーロー物ですし……と思っていたんですが、クライマックスでああ、ライジングかーと。
(よかったらタイバニもぜひどうぞ)
そういえば、タイバニの脚本を書いている西田征史さんはヒーローの定義を「人を助けようと考える前に身体が動いちゃう人」と言ってるのですよね。
*1:あれ、どこかで聞いたことのあるw